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事例

放射線を含む環境モニタリングと空間解析

地球環境スキャニングプロジェクト慶應義塾大学

 

放射線の空間線量率を調査しGISを用いて線量の空間分布を可視化し解析する

空間放射線量率の固定点測定・移動測定データをGISで可視化・共有化するとともに空間統計学手法を用いて空間内挿し測定点以外の地点の空間線量率を予測。

概要

慶應義塾大学地球環境スキャニング プロジェクト(Scanning the Earth, 以下STE)(プロジェクト リーダー:村井純環境情報学部長)では、米国MIT大学メディアラボ所長伊藤穣一氏をリーダーとする放射線測定ボランティア グループSafecastと協力して、放射線をはじめとする環境データの測定・可視化・空間解析に関して、方法論の開発などの調査研究を行っている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災およびその後の福島第一原発事故をうけて、福島県を中心とする全国の放射線測定を開始し、固定点測定器の配置及び車両などによる移動測定を進めているところである。
STEでは、空間線量率データの可視化及び公開にArcGIS Serverを活用している。また空間線量率データの空間補間には、ArcGIS Geostatistical Analyst10.1(以下GA。本稿執筆時ではβ版)で新機能搭載される予定の経験ベイズクリギング(Empirical Bayesian Kriging:以下EBK)などの空間統計手法を適用している。本プロジェクトの活動は、まさにインターネット社会を前提とした新しい空間情報科学であるといえる。

WebGIS上での空間線量率の可視化

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図1 モニタリングスポットデータの
EBK補間及びデータ公開サービス

前出のSafecastでは、首都圏の外国人居住者(物理学や情報科学、放射線測定などの専門的知識がある)らが中心となり、震災後に放射線量測定器を開発し運用している。Inspectorという放射線測定器を使った測定データを、PachubeのAPIを使ってリアルタイムに収集するシステムを開発しており、STEと共同で全国に測定器を配置している。
STEでは、ArcGIS Serverを使って測定データを可視化するシステムを採用している。
福島第一原発事故以降、国や福島県などは放射線測定のためのモニタリングスポットを増やし、観測を行っている。しかし、配置されている測定器数が十分とはいえず、測定器が配置されていない地点での空間放射線量率を把握することは容易ではない。
空間統計学の内挿補間を用いることで、広域の空間線量率を把握するために、航空機測定などを実施し、測定がなされていない箇所の空間線量率を推定することができる。
従来の放射線量等の空間内挿マップでは、逆距離加重法(以下IDW)や推測統計学に基づくクリギング補間が適用されてきたが、今後はベイズ統計に基づく経験ベイズクリギング法などといった手法が主流になるだろう。IDWや推測統計学に基づくクリギング補間は、放射線量の空間分布が空間定常性(どの地域を選んでも平均と分散が同じガウス分布であること)を仮定している。実際に広範囲で測定された放射線量の空間分布をみると、地域によって平均や分散が異なるため、空間定常性を前提とした空間統計手法は適用できない。このような場合、例えばクリギング補間を適用する際には、セミバリオグラムモデルをベイズ推定するなど空間的な異質性を考慮する必要がある。
GAでは、EBKが適用可能であるため、放射線量の空間内挿に適した手法であるといえる。
STEはEsri社(米国)の協力を得て、EBKを適用した空間内挿結果をA r c G I SServer上で公開するとともに、収集したデータをダウンロードできるサービスを行う予定である。(図1)

Esri社(米国)では原発事故以降、空間線量率だけでなく土壌や食料の放射線被害に関するデータも収集している。またKonstantin Krivoruchko氏をリーダーとするGA開発チームではareal interpolation手法も開発しており、今後自治体レベルで集計されたデータの空間内挿を適用できるようになる。

福島県南相馬市での測定と可視化

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図2 南相馬市での移動測定

こうした全国規模での測定や解析と並行して、福島県南相馬市内でも測定やデータ解析を行っている。南相馬市は、地震・津波・原発・風評など複合的な被害がもたらされた地域であり、とりわけ放射線量をきめ細かく測定し、将来の復興まちづくりに役立てていく必要がある。
我々は、南相馬市太田地区復興会議のご協力を得て、BNC社製のSAM940というエネルギー補償型のNaIシンチレータを市民所有のバギーに搭載し、通学路や田畑、牧草地、公園などを測定・可視化し、空間内挿を行うという一連の方法論を開発し実装した。従来、自家用車などの車両に放射線測定器を搭載して測定することがなされてきたが、通学路など自動車走行可能空間が測定可能に過ぎず、農林漁業従事者の方々が必要とする田畑や森林、林道、あるいは観光地(特に復興の過程でイベントなどを活用した来訪者の呼び込みが必要である)など、市民生活を支える産業に直結した箇所での測定の実施が不可欠である。
図2は、南相馬市で20km圏外の小中学校への登校が再開された2011年10月17日の前日及び前々日に移動測定を実施した結果である。

このような測定システムを開発する以前は、現地での放射線量測定の結果をGIS上で可視化するのに多くの時間を要していたか、測定結果が可視化されないといった状況であった。しかし上述のような測定システムをGISと組み合わせることで、測定後10-20分程度で住民に測定結果を示すことが出来るようになった。
このようなきめ細かい測定・解析を行うことで、例えば除染対策を実施した小中学校の敷地や通学路での空間線量率が低いこと、屋敷林や寺社林の下で雨水が溜まりやすい地面で空間線量率が高いことなどがわかった。田畑でも、事故後全く土を掘り返していない田畑の方が、一度でも土を掘り返した田畑よりも空間線量率が高いことなどがわかった。
このような詳細な放射線マップを作成し提供することにより、除染活動の効率化を図ることができ、また避難された方々が故郷に戻る意志決定をする際の判断材料の一つになるだろう。

まとめ

東日本大震災と福島第一原発事故に端を発する放射線関連の問題は、残念ながら、我々が中長期にわたり関わっていかなくてはならない課題となっている。チェルノブイリ以降、空間情報科学や計算機統計学、インターネット社会を前提としたセンサーネットワーク技術は、飛躍的な進歩を遂げている。今後、放射線のモニタリングや可視化においても、こうした方法論を適用することで、新しい測定・可視化手法の開発が期待できる。我々の調査研究を通じて、専門家だけでなく市民レベルでも、放射線の測定・可視化・解析に空間情報科学が活用されるとよいと考えている。
また放射線測定データに関して、国や専門機関による高度な測定機器を使ったデータと、一般消費者が入手可能な測定機器を使ったデータの両方が公開されている。今回の経験を後世に活かすためにも、測定器の種類やスペック、測定方法、測定時の状況なども含めて、こうしたデータのアーカイブ化を進めることは、我々にとっての課題でもある。

 

参考文献:古谷知之 (2011) 『空間データの統計分析』朝倉書店

プロフィール


総合政策学部 古谷 知之 准教授


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掲載日

  • 2012年1月1日