事例 > 多田銀銅山 遺跡分布データベース

事例

多田銀銅山 遺跡分布データベース

大手前大学史学研究所

 

13 世紀から続いた鉱山の遺跡分布をGPS・GIS 技術で解明する

江戸期には、国内有数の幕府直轄鉱山として栄えた多田銀銅山。これまで正確な遺跡の分布状況が把握されていなかった同鉱山において、江戸時代に作成された絵図とGPS・GIS 技術で、遺跡分布のデータベースを構築した。

多田銀銅山遺跡は、兵庫県猪名川町を中心とする7市町、数10kmにも広がる鉱山遺跡群である。

otemae-univ-1
銀山町間歩絵図(猪名川町内寺院所蔵物)

当鉱山の歴史は古く、奈良時代の東大寺大仏への献銅伝承から始まるが、文献資料によると13世紀から産出していたことが確認されている。江戸期に入ると多くの銅が産出され、幕府直轄地として国内有数の銅山として栄えた。明治以降においても操業は続けられ、1973年の閉山まで産出が続けられた。「摂州多田銅山濫觴申伝来暦等荒増略記」によれば、享保年間(1716~35)に現在の猪名川町域に897余の間歩(坑道口)があったと言われている。江戸時代の絵図により、遺跡の分布状況は確認できるものの、その詳細な状況はこれまで調査されていなかった。

大手前大学 史学研究所 オープン・リサーチ・センターは、猪名川町教育委員会と共同で、当鉱山における遺跡の位置情報や遺跡内容についての詳細な調査を行い、今後の遺跡状況の把握とその活用のための基礎的なデータベース構築を行った。

遺跡分布調査

otemae-univ-2
絵図と現状地形図の重ね合せ
(絵図は北からの視点で描いている)

遺跡分布データベースの構築作業は、「Ⅰ.情報抽出~ Ⅱ.現地踏査~ Ⅲ.基礎データの作成~ Ⅳ.データベース作成」の順に進められた。

情報の抽出

はじめに江戸期に書かれた鉱山絵図と現在の地形図とを照合した。そして絵図に描かれた谷、尾根などを現在の地形図に落とし込み、位置の推定と把握を行った。
「江戸時代の人は、自分の足で歩き、実際に見て、試行錯誤しながら絵図を作成したのだと思います。絵図と現在の地形図を合わせてみるとかなり高い確率で合っていたことに正直驚きました。」と語るのは、福井客員研究員。

現地踏査

絵図より推定した遺跡の箇所を地形図上に記し、それを元に現地踏査を行った。個々の遺構を確認できた場合は、GPSと連動したデジタルカメラにて撮影し、写真と緯度経度情報を取得した。加えて、遺跡毎に調査カードを作成し、伝承名や大きさ、状況などを書き示した。

otemae-univ-3

基礎データの作成

otemae-univ-4
基礎データ

基礎データは、標高、水環境、道路、鉄道、街区、行政界などの情報を元に作成した。本基礎データを作成するにあたっては、国土地理院発行の「数値地図2500」及び「数値地図50mメッシュ(標高)」を使用した。

GISソフトウェアは、ArcInfo9.0及びArcGIS Spatial Analystを使用した。本ソフトウェアを使用した理由は、第一に世界シェアが高いこと。第二に作成したGISデータを公開する上で、インターネットで無償配布されているGISビューワ(ArcReaderなど)が利用できるという点であった。

データベース作成

otemae-univ-5
ArcInfo9.0上に表示

otemae-univ-6

これらの作業により多田銀銅山における遺跡分布データベースが完成した。

構築した各データ(基礎データ、遺跡データシート、写真データ)をArcInfo9.0でレイヤ毎に区分けした。更に取得したGPS情報もArcInfo9.0上に表示させ、写真データとリンクさせて情報の一元化を行った。また、ArcGIS 3D Analystを用いて調査位置を年度で色分けし、3Dで表示した。

今後の予定

「はじめに基礎データの補完・更新を行っていく予定です。その次に、当鉱山には今回の情報抽出で使用した絵図の他にも絵図が存在しますので、そこからの情報抽出と見つかっていない間歩の追加調査を行い、更に充実したデータベースにしていきたいと考えています。あとは、本データベースを小学校などの総合学習での教育ツールとして利用できるまで高めていければいいなと考えています。子供達が本データベースをきっかけに、自分の住んでいる町や歴史にこれまで以上に興味を持ってくれれば良いですね。」と福井客員研究員は語った。

プロフィール


大手前大学 史学研究所
福井 亘 客員研究員



関連業種

関連製品

資料

掲載日

  • 2006年1月1日