サイトライセンス導入によって全庁で GIS 利用環境が整った相馬市では、担当職員からマネージャクラスまで、 GIS によってスピーディに震災対応がおこなわれた。
自ら ArcGIS を操作しながら説明する小山氏
福島県相馬市では、平成 18 年に統合型 GIS を導入した。その後、情報政策課を中心に基盤地図の整備をすすめた。そして、平成 21 年には、ArcGIS 自治体サイトライセンスを導入、ソフトウェアのカスタマイズをせずに庁内の有志による運用を開始した。 庁内での GIS 利用が進む中、平成 23 年 3 月 11日、東日本大震災が発生。相馬市の海岸部も津波の被害をうけた。 平時から GIS を使用してきた職員のスキルや、基盤地図が蓄積され一元化されていたことにより、外部のコンサルタントによる協力はわずかで済み、震災直後から職員の手により GIS が様々な場面で利用された。建設部長の小山氏も自ら GIS を活用した職員の一人であった。
ArcGIS 3D Analyst による標高データと断面図線を表示
小山氏は、震災以前は一切 GIS を使用したことがなかったため、まず、情報政策課の只野氏から ArcGIS の基本的な操作方法のレクチャを受けた。 その後、小山氏は、自ら ArcGIS を操作し、様々なレイヤを重ね合わせながら、災害危険区域の設定、復興住宅造成地の選定のために使用する地図の作成を行っていった。
災害危険区域の設定
相馬市では、震災発生 1 年前には航空測量から 1m メッシュの標高データを取得して GIS で利用できる環境が整っていた。この標高データと ArcGIS 3D Analyst を活用し、どの標高まで危険区域とするか、庁内での検討資料を作成した。
標高による色分け、等高線、家屋形状を重ね合わせ、
さらに、災害危険区域も重ねた地図
危険区域の設定には、実際に一軒、一 軒、住民の移転の意思の聞き取り調査をした上で、標高データから作成した断面図を見ながら最終的な意思決定を行った。「都市計画図で高さを見るだけでは精度が足りないので、GIS が必須でした。GIS がなかったら意思決定が遅くなっていたし、もっとアナログ的で漠然とした数値でやらざるを得なかったでしょう」と小山氏は当時を振り返った。
さらに、設定した災害危険区域を住民に説明する際にも、基礎資料としてグラフィック的に見せることで、直感的に理解でき、住民との合意形成にも役立った。
復興住宅用造成地の選定
復興住宅用造成地の選定においては、市長からの要請もあり、特にスピードが重視された。航空写真や地籍図を重ねた上で、横断面図・縦断面図を作成し、客観的に造成地を決定した。その後の用地買収の際の資料としても、地籍図面や地形図を重ね合わせた資料の作成を行った。
自衛隊による行方不明者捜索支援
自衛隊による行方不明者捜索においては、実際に捜索を行う隊員に配布する基礎資料として正確な地図が必要となり、浸水エリアの表記や縮尺が指定され、何十枚というオーダーで作成していった。捜索活動後には、自衛隊から市に対して、地図の整備が非常に良かったとのコメントが寄せられた。
実際にこのように様々な場面で GIS を使用した小山氏は、「『 GIS を使った』という感覚ではなかった」と感想を述べた。「『 Word を使って』レポートを作成したという意識がないのと同じ」だという。 マネージャクラスが、「 GIS 」を意識しなくても使用できる環境(人材、データ、作業フロー、ハードウェア、ソフトウェア)が整っていることが大事だろう。
情報政策課の只野氏は、「 GIS を使う環境を整えて、現場(原課)の職員からマネージャまでの様々なレベルで、自ら、カスタマイズしていない GIS を使うチャンスを与えることが大事であり、そのためにサイトライセンスは必須でした。」と語る。さらに、情報政策課が、データを蓄積して一元管理してきたことも、職員による利用促進の土壌となっているようだ。
小山氏は、「今後の情報化社会において、合意形成、政策形成に、GIS は必須だと思う。災害対応時など、スピードと精度が求められる場面で、部下に的確にかつ速やかに指示を出すために、マネージャクラスでも GIS が使える人材がいた方が良い」と述べた。
原課での日常業務から政策支援まで、 様々なレベルで GIS が当たり前のように使われる組織の姿が、この相馬市には形成されつつあるようだ。