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掲載日:2007年4月20日 |
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春です。 私が所属する、とある組織にも環境解析の若手技術者達がやってきた。 自分はこれまでGISを通じてどのような「気づき」があったのか。環境解析の若手技術者に伝えたいことは何だろうか?GIS教育の先人の挑戦結果や市販の良質なGIS教材(あれやこれ )を見た。 しばらく考えてみた。 そして講義の目的は「解析技術者としてGISを使ってみたい、学んでみたい、と自発的に思えること。」にすぐ決まった。すると、GISを学ぶメリットをはっきりと伝えることが重要となる。そうした結論に到達するためには何を話せばよいのだろう。 さらにまた考えた。 まず自分が若者だったときのことを思い出す。 理科系の大学に在学していた私が一番惹かれたのは技術論・技術史に関係する講義であった。その講義で教授が「技術者にとって大切なのは技術の背景にある思想であり、その系譜を学ぶことだ。欧米の理系の学部には哲学の研究室がある。日本の理系大学学部にそうした研究室が少ないことは問題だ。」とおっしゃっていた。 何かのテレビドラマで「君とここで哲学を語っている暇はないんだよ。」という台詞を聞いた気がする(有名な決めぜりふなのに、誰が言い出したのだろう?)。実際GISソフトを買ってきてもGISの哲学を知らなくてもなんとなく使えてしまうし、開発もできるし、解析もできるし、営業もできる。みんななんとなく使えている気になっている。しかし本来道具とはその本質を捉えていないと応用が利かない、と私は思っている。 理系の大学云々を抜きにしても、日本が知識や技術を輸入する際にその哲学を輸入しないことは、今日に至るまで変わることのない有名な風土病だろう。例を挙げるとすれば、明治時代に博物館や動物園に研究用のバックヤードを設けなかったこと、六本木ヒルズの回転ドアでは、オリジナルの回転ドアにはあったフェールセーフ思想を輸入改良の際に無視したこと、そしてGISも含めたIT教育に思想・哲学の教育が見あたらないこと等である。 ITがこれほどまでに生活に浸透しているにもかかわらず、ITの思想・哲学について一部の人を除いて教育を受ける機会が未だにない。ITの講習を聞きに行ってもソフトを起動してすぐ操作から入ることがとても多い。聞く側も国民性からか思想・哲学ではなく、操作方法を学んで帰りたいので特に不満も出ない。 ESRI出版から発売されている Charting the Unknown - How Computer Mapping at Harvard became GIS(プロジェクトX風超訳:未知なるモノの記録と図化への挑戦 〜 ハーバード大がコンピュータマッピングをGISに変えた日)は、GISの思想・哲学を学べるいい本である。しかし研修は明日。翻訳をする時間はない・・・。(だれか翻訳をお願いします) ・・・思案した結果、以下のようなテーマで講習を行うこととした。
について、全くGISソフトを使わず、1時間ディスカッションをした。後半1時間は一応ArcGISで実習をした。 研修内容をコラムに書こうとしたのだが、これまでのコラムの文字数をはるかに超過するので割愛させて欲しい。 参加した皆の感想文を読んだ。一部抜粋。(所属機関および本人の了承済) 研修を経験して自分はこんなことを感じた。 若い技術者は、理想(モデル)を持っている。社会のしがらみに負けてそれを捨てるようなことをしないで欲しい。 モデルの概念を理解してもらえれば投影法の説明はすっと理解してもらえる。これは思想・哲学を学ぶと応用が利く好例である。また、地図ソフトを使うのに思想・哲学はいらないかもしれない。しかし地図ソフトを作ったり、GISを使う技術者はGISの哲学をどこかで意識する必要があると思う。仏作って魂入れずはよろしくない。 この春、GISとがっぷり四つに取り組もうとされる方々の健闘を祈る。 |
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(コラムを書くにあたって参考にした情報源)
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